母のこと

   
   
  ありがとうの言葉を忘れない母。いろんなことはあるけど、ずっとこの調子が維持できるような気もするし、そうでないような気もする。 
母の「尊厳」を守ることが大切。叱らない、こちらが困っていることを悟られない。
  介護って、イコール、シモノセワだ。
27.9   おふろに入ろうと言ったら、衣類を脱いでトイレにいた!あわわ。
車に乗ろう、というと、だいたい運転席に行くんだな^^
笑ってしまえば、ラクになる。
トイレの失敗がめだつ。
ある朝、トイレの飾り台、ペーパーホルダー、便座・・・どうしたんだ!?っていうくらいよごれていた。しかも時間が経っていたからこびりついているかんじ・・・たぶん、用をすませたあと、流すことを知らないからそれを手にとってしまうのか?・・・わからない。朝から疲れた。トイレ掃除と洗濯ばかりしているかんじ。
  あいうえお ひらがなで、まだ書けます。孫に手紙を書きました。たんじょうび、おめでとう。
反面、トイレは苦手。用を足したあと、汚してしまったナプキンや下着をさわった手であちこち触れてしまうので、衣類からトイレから大参事だよ。いい工夫がなにかできないかな。
ご飯をよく残したりしたけれど、このごろはよく食べる、デイサービスでも10割、いただいているそうです。 
27.7   完全にわたしの家にヨメにきた母です。春頃から、自宅のトイレの場所がわからず。ひとりでいるときに困って、台所の勝手口やお風呂場で用を足すようになってしまった。
わたしの家から、デイサービスに週四回通います。 
  お弁当や、食べ物、飲み物を実家においても、それを食べなくなりました。暑い日は、とくに心配。 
27.4 デイに通う前後には、富塚に泊まるようになりました。途中から、自分の家はいったいどちらなのかわからない様子。 
実家にいるときも、「ちょこちょこきて、お世話になります」って^^
  夫は、そういう実家のこと、母のことをよく理解してくれていて、愚痴も聞いてくれ、細やかなことまでサポートをしてくれます。わたしは精神的に楽になりました。
また、26年7月から、要支援1の認定を受けてデイサービスを利用し始めました。これはわたしも迷いましたが、社交的な母にとっては、友人がいることや上手にほめていただくこと、予定にメリハリがうまれて、生活に張りがでてきたように思います。
冬には、介護1にレベルアップ^^し、週三回のデイサービスの利用となっています。
また、まったく食事の用意もできないことで、自分たちの旅行もままならない・・・。わがままではないか、とこれも迷いましたが、ショートステイにも、母は抵抗なく行くことができました。
   わたしにとって、青天の霹靂・・・大きなできごとがありました。23年3月。大震災のあと。
これは、母とわたしに大きな溝を生みました。埋められない亀裂、壊れた信頼。
それなのに、わたしは母から依存され、助けていかなければならない。
どうにか笑顔で接したとしても、疲れているときやイライラしてしまう日は、みにくい自分を発見の日々。。もういや。
自分ひとりでは、生きていけないくせに、わたしに嘘をついて。
わたしが、大事な時間を裂いて母のために尽くしているのに・・
兄弟がいるのに、どうして自分ばかり。
自分がどんどんみにくくなるのです。
   わたしは、平成15年に新発田市に家を構えて、実家は徒歩15分の距離になりました。
平成16年に母が胃がんの手術を受けてから、仕事を手伝ったりするようになりました。
そんななか、少しずつ異変が現れました。
明るく、誰とでも親身にかかわりを持つ母なので、友人も多く、出かけることも多かったです。
それが、仕事を放って、出かけたり、人との約束を忘れて、別な友人と出かけたり、会合の日時がわからなかったり。。ということが相次ぎました。
頂き物の箱菓子が置いてあるのに、どなたからいただいたか、わからなかったり、会合から帰ってくるときに別な人の自転車に載ってきてしまったり。
鍵やお財布、銀行の通帳・カードの紛失が頻発しました。
また、徒歩10分にある、わたしの家に来るにも、迷うようになりました。
72歳のときに、車の免許をお返ししました。このときは、ずいぶん恨まれましたが、道もわからないのですから。
当時から、ゴミを捨てることができなくなっていました。あるとき、裏庭にある作業小屋に行って、ほんとうに驚いてしまいました。生ごみ、危険ゴミ、洋服・・・ありとあらゆるゴミが山積みとなって、捨てるには何か月もかかるのではと思われるほどの量のゴミがあふれていました。
平成21年から3年間、甥っ子の瑞希がいっしょに暮らしました。このことで、母に刺激がうまれ、いい時を過ごすことができたと思います。
27.3  わたしの母は、昭和15年生まれ。今年75歳になりました。父は平成3年に亡くなり、実家にひとりで暮らしています。
にこにこと元気でおりますが、認知症と診断されてからもう7年が経ちました。
この頃、メディアでようやく認知症についてとりあげられることが増えてきました。
治る認知症もある・・という特集を見て、藁をもすがる気持ちで大学病院に行って調べてもらいました。
結果、アルツハイマー型認知症のお墨付きをいただき、アリセプト5gが処方されました。
マイナスな事柄は載せない主義のホームページです。ここに日記を書いて更新するかどうかは、まだ決めかねている
ところです。
記録という意味、気持ちを整理できるという意味、載せる、ということでわたしはがんばれるかも?という気持ちです。
お蔵入りになる可能性もありますが、書いてみようと思いました。